小学一年生から高校三年生までG町という場所で暮らしていた。
遡ること第二次世界大戦。祖父母は北海道生まれの北海道育ちだったが、戦争で空襲を経験しており、北海道と青森を行き来していた。戦後、青森市内に平家を買って暮らしていたが、祖父母の娘(私の母)が平成初期にこの家を取り壊して、同じ土地に新築で家を建てた。私はこの新築一戸建てで小・中・高と過ごしたのである。当時は少子化どころか近所には同世代の子供がたくさん住んでいた。家の斜向かいや斜向かいの裏の家の子たちも同級生だったし、隣もそのまた隣の家にも学年が一つ二つしか違わない、いわゆる先輩や後輩たちが住んでいた。小学生の頃は皆帰る方向が同じだったから、仲良く一緒に帰路につき、よく途中の小さな公園でランドセルを投げ出してブランコに乗ったり、鉄棒をして道草をしたものだった。まだ昭和の名残を感じる光景がそこら辺に残っていた時代である。
中学から始まった、T君へのいじめ


【写真中央が昭和からあるT君の自宅(正面と裏)】
T君一家は令和になった今もこの家に住んでいる。だが、二階の窓の障子は貼り替えられることもなくボロボロになっていた。左側の緑の壁の家も同様にボロボロだが、こっちは単純に空き家である。
小学校卒業後は、家の近所の同級生たちは漏れなく全員同じ中学校へ入学した。(学校まで徒歩5分という近さだった。)ただ、別の地区の小学校だった生徒も混ざり少しばかり環境が変わり始めた頃、私の家の斜向かいに住んでいた気の優しいT君が、不良グループに目を付けられてイジメに合っていることを噂で知ることになる。話によると、人気のない校庭の隅で案山子のようなポーズで立たされて石を投げつけられていたらしい。他にもご近所のお母さん同士の話だと、自宅に注文もしていないピザや特上寿司が何十個も届いたり、T君のお母さんのお金の保管場所を調べさせ、台所に仕舞っていたお金を不良たちが盗んで行ったこともあったと言う。中学生とはいえ、これは立派な犯罪だろう。私も小学生の時にT君の家に遊びに行ったことがある。その時、彼のお母さんやおばあちゃんにおやつを出して貰ったり、夕飯をごちそうになったからよく知っているのだが、どこにでもいる優しい普通のお母さんだった。T君のお母さんはその優しさからか、これらの事件について警察へは行かず、T君がイジメに合っていた学校の先生に相談しに行ったのである。もちろん教師たちは証拠がないなどと言って隠蔽を図った。以後、T君はこれらのイジメが原因で学校へ行かなくなってしまった。当然のことである。
隣の床屋の娘も引きこもり

【理容院を営むMちゃんの自宅】
T君の家の隣には昔ながらの理髪店があった。この家の一人娘もまた私やT君と同級生だった。彼女の名前はMちゃん。Mちゃんは小学生の頃からとても内気な女の子だった。人と話すこと、いや声を発すること自体が大の苦手だっただろう。小学生の頃は国語の授業で先生に朗読を薦められても、下を向いて俯いてしまうような子だった。T君もMちゃんも色白で顔の表情からしていかにもか弱そうなタイプである。子供という生き物は残酷で、おとなしくて文句の一つも言い返さないような子を標的にしてイジメる。(大人もそうかもしれないけど) Mちゃんとは別々の高校になってしまったので中学までの事情しか知らないが、予想するにその後の学校生活でも、からかわれたり嫌味を言われたりして、ただ無言で耐える辛い日々を送っていたのだと思う。T君は高校へは行かず、中学校生活の途中から登校拒否→引きこもり となってしまったが、Mちゃんはなんとか頑張って高校までは卒業した。しかし、卒業と同時に彼女もまた自宅から一歩も外へ出ることはなくなり引きこもり生活を送っている。
その後、三十年間ずっとである。
父親がいないのに、次々と子供が産まれる謎の一家
T君をイジメていた不良の一人もまた、同じ町内に住む同級生だった。
不良少年Hの家は、木とトタンとビニールと釘だけで作られたようなボロい平家で母子家庭だった。母親が若い頃から売春婦をしていて、父親がどこの誰だかわからない状態のまま、妊娠するたびに子を産んでいたので、近所ではとても奇妙で敬遠される子沢山一家だった。実際の子供の人数は今となっては思い出せない。多分6人以上は居たんじゃないかな。この家の子供達は全員高校へは進学せず、中卒で鳶職みたいな仕事をしていた。私が知っている一番下の子は確か女の子だったが、近所に悪臭まで放っていたボロ小屋はとっくの昔に無くなり、彼らのその後の行方は知る由もない。母親は年齢的にも身体的にも金銭的にも、もう生きていないだろう。
これらの話はすべて当時私が住んでいたG町内の狭い一角で起こっていた出来事である。つい先日、数十年ぶりにこの町内を訪れてみたら酷く過疎化が進んでいた。不良少年Hの家のみならず、周囲にあった家々も全て取り壊されてただの砂利の更地になっていた。ポツポツと残っている家屋もほぼ空き家で誰も住んでいない。集会が行われていたG町内会館も建物ごと消え去り、まるで何十年も前からそこには何も無かったかのような風景だけが残っていた。
町内という狭い世界

【昭和の頃からあった公園のピエロ】
高校を卒業してこの町を出てからあと数年で30年が経とうとしている。
T君もMちゃんもあの時以来家から出ておらず、今も引きこもり生活を送ったままだ。
10代後半から一切外出しない生活を送っているということは、おそらくスーパーに一人で食材を買いに行くこともできないのではないか。(それ以前に、近くにあった70年以上も歴史があったスーパーは、過疎化によって倒産してしまって今はもう無い。)きっと室内でテレビくらいは観ているだろう。でも、スマホやPCは触ったこともないはずだ。彼らの中ではファミコンやゲームボーイの時代で時が止まっている。何十年間も家族内だけで交わされる話題だけを見聞きしてきた人間が、突然外の世界に出て店員など他人との会話が成立するとは到底思えない。T君一家に至っては、当時のイジメと息子の引きこもりが原因で父親も母親も妹も全員仕事ができなくなってしまった。妹のNちゃんは元々明るく元気な性格だったのに、これらの家族問題に巻き込まれて結局家の中に籠ってしまった。結果、家族全員が引きこもり生活を送っているのだ。狭い世界なので、昔この辺りを回っていた生命保険のおばさんから聞いた話では、積み立てていた保険も解約をして生活を切り詰めていたということだった。私個人的には、おそらく一家全員生活保護を受けているのだろうと考える。受給額はGoogleのAI Overviewによると、四人家族で月30万程度支払われる場合もあるようだ。最近は生活保護受給者に対して文句を言う輩もいるみたいだけど、T君一家やMちゃん家族の歴史を振り返ると、あの当時、学校もご近所もクラスメイトも教師たちも彼らに手を差し伸べることをせず、みんな見て見ぬふりをしていた。町内集会やご近所の集まりで群れていたにも関わらず。まだ当時中学生だった筆者は何もできなかったが、自分が当時の親世代の年齢になってみて思うことは、今の私だったらT君のお母さんに「学校じゃなくて、警察に行きなよ」と忠告する。「もし行きづらかったら私も一緒について行ってあげる」という言葉も添えて。
あの時、町内という小さなコミュニティの中でもう少し助け合って問題解決できていたら、今頃T君もMちゃんも普通の社会人として生活を営み、税金を納める側の人間になっていて、結婚して子供だって生まれていたかもしれない。自分自身が歳を取り、最近そう考えるようになった。
今の日本にはT君やMちゃんのように、10代から40代半ばまでずっと引きこもり生活を送っている国民が他にもたくさんいるんだと思う。私たち同世代はそろそろ親が亡くなる時期に差し掛かっている。彼らみたいな人生を送ってきてしまった人達は、親が死んだ後どうやって暮らしていくつもりなのだろう。ふと心配になってこんな日記を書いてみた。相変わらず私では彼らを助けてあげることはできないのだけど。
最大の悲劇は、悪人の暴力ではなく、善人の沈黙である。
沈黙は、暴力の影に隠れた同罪者である。
マルティン・ルーサー・キング・ジュニア